うそうさ〜第二号室〜

フリゲ・鬱展開・ヤンデレ 万歳!

フリーゲーム「だれかのかがみ」感想

「ぽしょりとぽつりとぽそりの違い」

耳元に近いかどうかで決まる気がする前置き。

 

 

えー、今回はウミユリクラゲさんところのフリーゲームだれかのかがみ」の感想をつらつら書きますね。一部レビューっぽいかも。

 

濃密な魔力のある、一本道百合ノベル。

魅力じゃないんです魔力なんです。すさまじい、圧倒されました。

 

というわけでさっそく良かった点など。

一部シーンのネタバレを多く含むほか、既プレイの人にしか通じそうにない書き方が多くなっています。ご容赦。

 

 

 

おねロリ年の差百合、の皮をかぶった別物

 

ぎこちない恵音の緊張をほぐそうとする棗や、年相応にお化けめいたものに怯える恵音を見て、ほのぼの家族物かなと思いながら読み始めたのが序盤。恵音の小さな願望を膨らませ、まるで魔法のように引き上げ、そして落としてしまう展開に濃厚な百合を感じたのが中盤

そして終盤になり、全てはひっくり返ります

もっとぼかして書きたいんですが、もうね、こういうふうにプレイした時をありのまま振り返ることでしか語れないんですよこの作品。既プレイの人には通じますよね、通じて欲しい、この読み手の意識や感覚が驚くほど滑らかに変えられていくこの感じ!

 

なんだろうな、俗っぽい属性付けをすると「年の差リバ」で終わるんだと思うんですけど、そういう枠に当てはまらない濃密な空気があるんですよ。身近に感じていた人たちが、急に二人の世界へ閉じこもって遠くへ行ってしまい、かと思えばふいに傍で佇んでいるような感覚です。

二人だけの世界! 魔性の百合!

雑に書くならこうなんですが、この枠ではとうてい収まらない濃厚で混濁した純度の高い空気があります。わからない? やればわかる。

 

 

たった二人の、万華鏡のような関係

 

登場人物は、本当にまったくの“ふたり”です。余計なサブキャラが出ることも無く、何かの影が見えることはあっても、干渉されることはありません。

だというのに、この、何人もの“誰か”が息づいているような雰囲気! これがもうたまらなかったです。

 

素敵な女の子になりたい、かわいい恰好をしてみたい……

とても“乙女チック”な願望が作中第一のターニングポイントになります。

まずはこの願望との向き合い方の描写がとてもうまいなと思いまして。片や、男っぽくてがさつで部屋の片付けもしない棗。片や、私には似合わないと言いながらもチラチラとレースを覗き見てしまう恵音。まるで対称的に見えちゃうんですよねぇ、これが。

 

で、ある意味暴力的な変化から、さらに二人の関係は変わっていくわけですが。演じているキャラと素の私と作った私がどんどん混ざって、二人の関係性もシーンごとに代わっており、それに違和感を抱かなくなっていく……どんどん立ち位置がわからなくなっていくような読み心地のノベルでした。

 

もっと本質を突くような書き方をしたいなあ。

どうしてもこの作品、プレイして感じるところが多くて、表層的な部分を追うしかない書き方になってしまいます。うぅ。

 

 

 

生々しい女の子像と、フィクションの乙女が交錯する展開

 

やっぱり印象に残っているのはあの、恵音が棗の地雷を踏み抜いてしまったシーン。それに対する棗のアンサーであるあのシーンもなかなかにその、エグくて、いい意味で鳥肌が立ちました。

あれはもうね、女の子にしかできない報復の仕方だと思うんですよ!

ここだけではなくて、作中ではあちこちに“女の子”が根付いています。

 

で、思ったんですが、女の子と乙女って違うんですよねぇ。もしかすると作中で少女と語られていたものもまた当てはまるのかもしれないのですが……。

お酒を飲んでサバサバと恵音を切り捨てる棗は確かに、大人の女性なんですよ。すごく現実的、だというのに例の“乙女”のシーンは濃密な質感を持って上映されていく。まるで女学生でしょう、本当、あれを説得力持って同じ人物の話として描けるのが感服ですよ。

で、うっとりするほど淫靡なシーンを挟んだうえで、「男娼」「キャー!」のあれです。突然夢が冷めるような、でもどちらもすごく女の子らし過ぎる会話で、本当生々しさに頷いてしまう。ああいう世界が好きな子って、するでしょうああいう会話。わかるって叫びたくなる、けど現実味がないくらいフィクションで塗り固められている登場人物達! もう何なんだ、読んでるこっちは大混乱で、でも確かに納得できる地盤のうえで読み進めていけるんです。

 

書いてる私がもう混乱してますね。すまない。

でもありのままの感想を書くなら本当にこうなんです。

決して、わけがわからない、ではなく。どこにいるのかわからなくなる・誰かわからなくなる、けど、“ふたりのはなし”であることは明確な事実として実感できる、そんな感じでした。

 

 

 

 

とまあ、普段以上にふわふわした書き方ですけれども。

ともあれ、濃密な世界観と圧倒的な展開力があったことは確かです。

 

現実と虚構が入り混じる世界、意外な一面や衝撃的な展開、リアルで生々しいキャラクター、年の差百合、自分で考えながら読み進めるストーリーなどにピンとくる方へおススメしたい作品でした。

 

追記ではネタバレ込みの感想など。

 同作者様の他フリーゲーム感想記事↓

shiki3.hatenablog.com

 

 

ネタバレあり

 

考察、と銘打ちたいんですが解釈にも及ばない、考えたことを書きます。

 

 

恵音の髪を切るシーンについて

 

前述では報復と書きましたが。棗の願望の一部がロビンのような存在であったことから、あの恵音のイメチェンシーンは決して棗の怒りの表現だけには収まらないんだと思うんですよね。

単純に恵音の中の乙女を破壊する気持ち良さ? 過去の棗と同じ形にしてやることで、自分が叶えられなかった夢を追体験させて、仲間を増やす気持ち? 恵音をボーイッシュにしていき、恵音がそれを肯定することで、自分の叶わなかった乙女を疑似的に肯定させてやる道のり? これらが全部混ざり合っているんだと思うんです。

余談ですが、本編でこういう理由だと語らないからこそ、こういう理由だと明確にできない混ぜこぜの感情が推察できるの、凄いですよね。

 

ともあれ、恵音をボーイッシュに誘導していくことはロビンを現実に登場させるための儀式にも似ていると思うんです。実際、恵音も驚くくらいすんなりと“ボク”になじんでしまうわけですし。

タイトルを強く意識させられたのがここのシーンでした。

 

 

 

タイトルの意味

 

せっかくなので流れでタイトルについてもつらつら。

かがみ。

“私の”かがみではなく、“だれかの”かがみであるところがポイントですよね。だって“私”だとしたら、恵音と棗は同一の存在になってしまいます。それじゃあ棗の乙女は叶わない。少女小説には草花から生まれたような男の子が必要ですから。もちろん、男ではない男の子。

だからこそ、棗が恵音に近づき恵音のようにロリータにあこがれる可愛らしい乙女らしさを明かした途端、今度は恵音が棗から離れて暗躍暴走していく構図になっていくんだと思うんですよね。

 

プレイしている実感からしてそうですもん。

序盤はあんなふうに棗が髪を切ってしまうのが、もう、たまらなく暴力的で、私は強く強く「酷い!」と恵音に共感していたはずなのに。終盤では、どんどん一人で世界を回していってしまう恵音が読めなくて、むしろ恥ずかしそうに乙女の秘密をさらけ出されてしまう棗に共感していたので。

なのでやっぱり、二人は確かに女の子で根本の願いも似ているけど、明確に差が出るよう描かれています。ここは断言できるぞ。

 

じゃあだれかって結局誰なんだっていうと。難しいんですけども。

作中で語られた、見えないけど心のどこかで私を俯瞰して時々魔法をささやきかけてくるような少女がこの“だれか”に当てはまると思うんですよ。

心の奥底にしまっている願望、魔が差したという言葉にある通りの魔、変わりたいと思った時の想像上の理想像。それらを照らし出して、見せつけてくるのが、“だれかのかがみ”なのかなあと思います。

 

 

 

ジェラになりたかったのは誰?

 

“だれか”の正体に一部の面でごくごく近いのは、ロビンとジェラなんじゃないかなあ。

この二人の原型は棗が描いていたもの、のはず。棗が描いていた、こうなりたい、こうならせたいというメモ用紙を得て、恵音が造り上げたものではあるんでしょうけども。根本は棗の願望が詰まっているように思います。

 

ジェラは棗だし、棗自身の望み。ここは本編を読めばわかる通り。

一方、ロビンについて。

正直恵音はロビンになりたかったかと言えば、否だと思うんですよ。元々ロリータにあこがれていたわけだし、髪を切られたのだって半ば無理やりだし、ボクが始まったのも棗の誘導からだし。求められていたからそうなった、というだけで、自分からそうなりたかった、では決して無かったはず。作中の「ロビンになってあげる」の“あげる”が一番物語っています。

こはちょっと妄想が強いですが、恵音がロビン・ボク的なキャラを進んで演じ始めたのは、どうせロリータの乙女の道は断たれたわけだし誰かに成れるんだったら誰でもいいや、という意味で妥協をしたのかもしれません。

 

でも、恵音はロリータへのあこがれ、乙女的な夢を素直に諦めたわけでは決してありません。

作中のジェラのお話、「無理やり短くされてっ!」のあの一文。息をしなくなったジェラはまさしく、棗に無理やり髪を切られ殺されてしまった、乙女だったころの恵音の姿でしょう。

恵音は棗に正しく仕返しをしたわけです。過去の乙女な夢に憧れていた自分を、棗を通じて作り上げて、追体験させてやった。一点異なるのは、棗が破壊の方向に向かっていたのに対して、恵音は叶える方向に向かっていたことですね。執拗なまでに棗を甘やかして、理想の自分をさせてやることで、間接的に夢を叶えられなかった自分すらも飼い慣らしてしまいました。ある意味ナルシズムに近い描写でもあります。

作中引用しますが、「ジェラ―ドそっくりのお人形」「今のあたしなの?」「どうだろう」のやり取りもけっこうなヒントですよね。ジェラを棗に託してはいないんです、恵音は今もジェラのような乙女の願望に執着があったはずなんです。今もロリータになりたい、ではなくて、あの時ロリータになれたはずなのに、という形での執着。

 

それを踏まえると上位に立つって気持ち良いですよ。あの時叶わなかったことを叶えてやれるし、壊すのだって自分のタイミング次第なんですもん。

棗は恵音の夢を一方的に壊してしまったからそこで終わり、以降は恵音を儀式に付き合わせるばかりでした。対して恵音はいつまでも棗を夢の世界に引っ張り込んで弄べるんです。過去の仕打ちを強く強く忘れられずにいるのであればなおさら、思い出して嫌な気持ちになるそのたびに、「でも今は私が好きにできる」と思って心を慰めることができます。

恵音の、世界を私が回している、っていうのの一部はこういう感情だったんじゃないかなあ。

 

でも、いまだに理解できていないのは、ジェラとロビンの世界が終わる時のあの描写で。

あそこでロビンが倒れて、ウィッグの交換を経てまた恵音と棗の立場は入れ替わるじゃないですか。男娼を言い出した恵音を棗がからかっちゃったりなんかして。

あのシーンがあるからこそ、棗がまたきちんとしたリアルの登場人物として認識できるので、それ自体は良いんですが。恵音が羈を握るのではなくて、再び戻ってきたのはなぜか、もっと言うとロビンはなぜあのシーンで倒れてしまったのか。それだけが気になっています。

 

 

 

謎の金切り声は何?

 

恵音がお布団でもぞもぞしてしまうシーンから直球に考えて、“だれか”の鳴き声、欲望の自己主張なんじゃないかと、思ってはいるんですよ……。曖昧な物言い(書き)になっているのは、それだけじゃないとも思っているからなんですけど。

今まで金切り声をちっとも気にしてこなかった棗が、ジェラのシーンを経てから急に耳障りに思い始めるのも印象的ですよね。あれ、自分の欲望に見ないふりして蓋してきた棗が、恵音に地雷を踏まれて強く意識させられて、ついにジェラとして白日の下にさらされてしまったせいで、自分の乙女的な夢を見て見ぬ振りできなくなった……金切り声を疎ましく思うようになった……んだと思うんです。

 

わざわざラスト間際の場面で二人が外に出て、棗が過去に向き合いかけたシーンが入ったのも比喩的ですよね。うーん、あの場面すごく難しいんですが、森の外に声は無かったことと白い家に戻ってきた途端に鳴り始めたことに注目すると……。

森の外から想起させられる棗の過去に、もう“だれか”はいないんです。過去ロリータに夢見てそれが叶わなかった棗は、もう恵音の手によって消し去られてしまった。だって今、ジェラとして叶えられる道があるとわかったわけですから。

だから白い家に帰ればまた金切り声がする。これは棗の内の“だれか”の願望がここでは叶うのだと叫んでいるのかなと思います。

 

じゃあ、恵音のほうはというと。

そもそも彼女の乙女的な夢が発露したのは棗がいたからで、あの家に閉じ込められてしまった。だから外では声が遠くに行ってしまうのもわかりはする、と思います。

 

 

 

そしてここが最重要、誰しもがぶつかるであろう点。

 

最後に恵音が導かれた金切り声はなんだったのか?

 

金切り声が不思議と、葉擦れのような穏やかな声に聞こえたのは、つまり恵音が不快だと思わないほどに乙女の夢を飼い慣らしてしまったからだと思うんです。もう恵音はロビンになって叶わなかった自分のロリータへのあこがれと折り合いをつけるやり方を学びました。

ただし、あくまで折り合い。ジェラを棗に託さなかったと再三書いたように、恵音がロリータへのあこがれを捨てたわけではありません。

だから声は消えるのではなく、穏やかな声として、恵音の傍で鳴るようになったのかなと。

 

バレーボールが“だれか”への道をつなぐのも意味深ですよねぇ。やっぱりこれ、バレーボールから恵音の可愛い女の子になりたいという欲望が膨れ上がって、とめどなくなったんだってことを書いてるんだと思うんです。

そして、得体のしれない声の正体は、“だれか”の形は、ようやく明かされます。バレーボール、髪を切られるあのシーンを通じて、恵音は自分の欲望と向き合いました。でも向き合うだけじゃ完全じゃなくて、折り合いをつけないといけない。その形こそが、ボーイッシュな自分であり、ボクであり、あこがれを抱きながらそれを弄べる上位存在……なのかなと……。

それだけじゃない気もするんですけども!

でも、うーん、一面においては当てはまる解釈じゃないのかなあ。

 

 

 

現実的・物理的な意味で“誰”が電気のスイッチを切り、扉を閉めたのか。そこまでは正直、考えが至りません。というよりここは設定されていないのではないかと思う。

現実的にいないはずの“だれか”が恵音の現実で動いた、ということが大事であって。

あれは本当に誰か第三者が潜んでいたという意味ではなく、“恵音の中の少女的な欲望”と“短髪になった恵音”が交じり合い、互いの折り合いをつけて溶け合ったということを明確に示すための表現なんじゃないかと思うんです。

 

現実であり得ないことが起こった。

現実と虚構の境界は破られた。

恵音の夢は、少女性は、繋がった。

 

そういう、究極の描写だったのかなと、考えました。

 

 

 

 

と、まあ、こんな感じで!

まとめたつもりだけどまとまってるのかなあ。

 

なんだかいっぱい書いてしまったけれど、プレイ済みの方はこの文を読んでどう思われるんでしょうか。蛇足になっていやしないか、はたまた大暴投を決めていやしないか、ハラハラものです。

 

ネット上の感想もちらちら見たんですが、肝心のところはぼかしてしまう書き方をされているものが多いんですよね。いや、そうせざるをえないプレイ感の作品であることも、なんかもうたまらなく重々わかりはするのですが……。

 

とにかく他の人の意見も見たくなるお話でした。

大募集!