うそうさ〜第二号室〜

フリゲ・鬱展開・ヤンデレ 万歳!

フリーゲーム「だれかのよどみ」感想

「狭くて暗いところでないとその存在は見えないのです」
常に潜んでいるからわざわざ語ろうとしなかった前置き。

 


えー、今回はウミユリクラゲさんところのフリーゲームだれかのよどみ」の感想をつらつら書きますね。一部レビューっぽいかも。

 

絵師としてくらやみ横丁さんをお呼びしているとのことで、別名義の合作『無限夜行』とほぼ同じ形になります。とりあえず名義がウミユリクラゲさんのみでしたので、そのように。

 

ジャンルとしては“おんなのこ”を希求する一本道ノベルゲームです。
ストーリー上の関係は一切ありませんが、作中で用いられる「閉じている」「おんなのこ」等々の概念は前作『だれかのかがみ』を読んでおいたほうがわかりやすいかなとも思います。

 

 

というわけで特徴的な点など。

以下、ある程度テーマのネタバレ等を含みます。
事前知識があるほうが読み取りやすい作品だとは思いますが、ネタバレ嫌いな方はご注意ください。

 


ポエムな文体で流れていくテキスト

『だれかのかがみ』でも感じていたことではありますが、文章の癖がいっそう強くなっています。単語をテンポや響き重視で連ね、読者の理解よりも作品の伝えたいものを先行して流しているため、少なくとも私にはかなり難解に感じられました。


普段使いとしては違和感のある単語(外に出かけよう、を「遊歩しよう」と言うなど)が多いのも特徴の一つ。稀に校正厨になってしまう私としては、ちょこちょこ違和感に固まってしまうシーンもありました。
ただ、独特の文体だからこそ此処でしか感じられない雰囲気が生まれているのも確かなんですよ! 終盤の泥のような勢いはすごかったですし。人を選ぶ要素でもあり、強みでもあると思います。

 

 

比喩を重ねられた単語と曖昧な彼女達の存在

例えば作中の「おんなのこ」の有する概念は、国語辞典的な、身体的特徴が女性である子ども的な意味には収まりません。登場人物と地の文が共通認識として使っている「おんなのこ」の意味をつかみ取りながら読まなければ、たぶん何一つ残らないまま不気味な話として終わってしまう作品であると思います。
まあ物語とは得てしてそんなものとも言えそうけれども。この作品は比喩や象徴で語るやり方で突出しているため、より単語のニュアンスに注目する必要があるのかなー、なんて。

 

さらに言えば、登場人物三人の存在もかなり曖昧なままで終わります。曖昧こそがおんなのこの概念、と言えるかもしれません。


登場人物達の関係が“あの日”をきっかけに変わった、ということはかなり序盤から明記されるのですが、その“あの日”に何があったのかは終盤にならないと明かされません。そのうえ、結局のところ登場人物たちがどうしてこの地に集まったのか、ムカシノバシとは何なのか、シルル伝説のシルルという響きの由来は何なのか、そもそもあの子は何者だったのか、そういった諸々の設定は全てそぎ落とされます。物語の根幹に関わらないことは、語る必要などないんだと言わんばかりに。

木陰の街の外での話などは閉じられた世界の外側の話になるので、あえて語らないようにされているのだと思うのですが……。


考察好きの方や、そこまでいかなくても自分で色々と想像を広げながらゆっくり読むのが好きな方に向いているゲームだと思います。

 

 

おんなのこを愛し、女を忌避する語り口調

じゃあ物語の根幹、主題は何なのかというところですが、やっぱりおんなのこだよなあとは思います。思うのですが、さらに深く突き詰めて考えるというところになるととんとわかりません。私には難しかった!

ともあれ、生理や妊娠などどうあっても避けがたいものをあえてドロドロドロドロと書き綴ることで、間接的におんなのこの概念を強めていく感じはすごく好きでした。
この手の作品が出るたびに毎度書いてる気もしますが、私なぜか三次元二次元問わず、妊娠ってすごくグロテスクなものだと思うんですよねぇ。別に、処女が至高とかロリ万歳とか性嫌悪とかエロ撲滅とかそういう主義主張的なものは一切無いんですけれども。うーん?
とにかくこういう私の感じ方に近い演出がされていて、水が合うなーと思いました。

 

とりあえずわざと俗っぽく書くなら、百合に見えて似て非なる形かなと思います。
でも私が百合に求めるところの、少女性、女を嫌でも意識させられる何か、二人きり感、はかなり出ているのでブログ記事に百合タグは付けます。許して。
登場人物達の諸々を隠してあるのも、あとがき読むまで気づきませんでした。たはー。

ついでにあとがきと言えば、トートロジーにならないよう気を遣われているところも好印象でした。

 

 


とまあ、こんな感じで。
色々考えながら読むのが好き、少女という響きに心ときめく、ロリータ服に憧れ以上のものを感じる、等々の方向けの作品かなと思います。

その他はラストシーンのネタバレになるので追記にて。

 


同作者様の他フリーゲーム感想記事↓

shiki3.hatenablog.com

 

 

 


ネタバレ有りの、考察解釈もどき?
考えた事書き連ねです。

 


ラストシーンネタバレ

 

 

おとこのこにしたかった


「木陰をおとこのこにしたかったんでしょ」のあのシーンが鈍器で殴られるかのような心地だったので語らせてください。


なんだろうな、少女だけで構成された三角関係の閉鎖的な世界、っていう固定観念が最後にガシャンと壊されたんですよ、あのセリフのせいで。最後の最後にこれを持ってきてしまうの本当に上手いなと思います。
それっぽい主論を続けて続けて最後に反論で壊すことで、結局どこにもないことを証明するというか。残ったものを見つめてそれ“らしき”ものとして定義するしかない虚しさみたいな。明言できないことが答えみたいな。上手いわぁ。

 

後日の私が勘違いしそうなので書き添えておくとあのシーンは別に、ヘテロVS百合でヘテロの勝利、って意味合いでは絶対無いはずなんですよ。そのために皆の属性が隠されていたんだと思うし。
なんていうか……中性ですらない疑似的な存在みたいなのを語りたかったのではないのかな……私もはっきり理解はできていないのですが……。

 

雨音や雛が、(ある意味世界観を壊すような突飛な)普通とは異なる素性なのも、この固定観念を壊す一助になっていると思うんですよね。

 

 

雛は闇、木陰は光

ストーリー構造と持って回った言い回しで何回に見えるだけで、実際のところはかなりシンプルなストーリーなんだろうなあとは思うんですよね。

 

まず、本作は秘密を有する共同体の話。仲良く暮らしていた三人だったが、仲良くなりすぎて個人の領域に踏み込まれて、秘密が暴かれてしまった、けれども秘密を受け入れて共存体として生きるほどは家族化していなくて、誤魔化そうとしていたが結局木陰が家出してしまったうえに外で家族を作ってきた、という感じ……?

 

家族になるためにはまず個と個が互いを他人として触れ合うところから始まるんだと思うんですが、雨音は身体的特徴が秘密に繋がっているので、他人として触れ合う工程が同時に家族として受け入れるための工程になっちゃうんですよね。だから、ステップアップしていくはずが一段飛ばしになっちゃって上手く段階が踏めずに家出されちゃったのかなあ等々。考察解釈と言うより妄想も強いですが。

 

 

ラストシーンの前の雨音と雛の会話で「ひぎぃ」「らめぇ」って、間接的に性行為(しかも無理やりっぽい)を臭わせるのも、含蓄深いなあと思うんですよ。
あの日、に木陰と雨音は間接的にせよ疑似的にせよもうそういう行為を済ませているので、今度は雛と雨音がそういう行為をして、身も心も暴くしかなかったのかなあとか。
木陰と雨音は、心の秘密(好きって気持ち)を暴いて体の秘密(アヤカシ)を暴く段階でエラーを起こしたのに対して、雛と雨音は体の秘密を暴いて心の秘密の段階でエラーを起こしてるんだとも言えそうです。

 

結局のところタイトル画面が全てですよねぇ。
木陰は一人で家出して、光だけを見て、アヤカシやらおんなのこやらムカシノバシやらあの家やらの内側の要素を全部見向きせずに、ロリータ服で禊を済ませてさよならしようとするし。


雛は内側から出ようともしなければ、一人でいようともせずに雨音を引っ張り込もうとするし。
雨音は木陰と一緒に光へ出ていって、おんなのこの概念から抜け出そうとしかかっていたのに、雛に閉じ込められてしまうし。

大人になる木陰がラストでは一切出てこず、閉じ込められた二人の陰鬱で性的なシーンで終わるのも、見事によどんでいるなあと思います。

 

考えれば考えるほど、輪郭は取れるけど、肝心かなめにはたどり着けない気分です。うーんうーん。そんであとがきにあった通り私も、怠惰によって全部忘れちゃうのかもしれません。