うそうさ〜第二号室〜

フリゲ・鬱展開・ヤンデレ 万歳!

アニメ「中二病でも恋がしたい!」感想

「君がかっこいいと感じたそれが全てで、誰が何と言おうとその感動は消せやしないし消させない!」
感じ方の違い的な前置き。


えー、今回はアニメ版「中二病でも恋がしたい!」の感想をつらつらと書きますね。


途中、私の思う中二病感みたいな、もうそれこそ痛々しい語りになるかもしれませんので、そういうの嫌いな方はバックプリーズです。

 

 

 

中二病、という如何とも退き難い運命の言霊に惹かれてこのアニメを視聴し始めたのですが、
これが見事に当たりでした!いや本当、見て良かったです!!!
笑いあり涙あり萌えあり燃えありの、色んな面から楽しいアニメでした。

原作は未読。どうやらかなりアニメ化で設定が変えられているそうなので、きちんと原作の方にも手を出したいなあと考え中です。まさかあそこまで激しく動く凸守がオリジナルキャラだとは思わなんだ……。

 

そうだなあ、やっぱり立花と勇太のくっつきそうででも照れちゃってうひゃあああああみたいなリア充っぷりがもうたまらん萌えましたね!ちくしょう!壁殴り代行はどこだ!
本当、もう、二人が契約を結ぶシーンはもう、
見てるこっちが(照れ+中二病で)ダブルに恥ずかしかったです!!
幸せになれお前ら!みたいな!頭を打ち付けて身悶えたよ!可愛いな君たち!もう!キャー!
女の子キャラは多いけど、ハーレム展開にならず、純愛に突き抜けてくれて本当に良かったです。


細かい描写が丁寧なのも良かったなあ。一瞬だけ表情が変わったり、目線が動いたり。
言わずとも通じると言いますか、視覚的な情報量ってすごく多いんだなと思いました。あと、指先や小さな仕草にこだわっている印象。そういうちょっとした可愛さが積み重なって最終的に立花可愛いよ立花ぁぁぁあああああああみたいな気持ちになりました。


全体的に、中の人の演技が光る作品でもあったと思います。
11話の凸守の叫び声には涙が止まりませんでした……。悲痛。つらい。
勇太の中二病モードもかっこよかったですねぇ。
声がガラっと変わって目つきや仕草が決まりまくってるのがかっこいい。かっこいい!

 

で、シリアス展開や最終話についてけっこう賛否両論あるようなので、ちょっと追記で語ってみたいと思います。ネタバレだらけなので、未視聴の方はご注意を。

 

 

 

以下、ネタバレです、大丈夫ならどうぞ。

 

 

 

 

 

ええと、色んなことをまず整理しますね。
私自身の感想や考察も交えた流れになります。

 

まず過去、立花の父が亡くなります。
立花は父の病気が命に関わるものだと知らされていなかったので、動揺し、父の死を受け入れられません。
(余談、この葬式シーンの立花は目にハイライトが無いし、十花に何か言いたげにして黙りこんだシーンが言葉にできない訴えかけがあったしでたまらん好きです。)

父親が亡くなったこと、家を引っ越さなければならないこと、その家が更地になるであろうことを、当時の立花は「仕方ないよね」と無理やり納得しようとします。たぶん、姉や母に気を遣って。また、仕方ない、どうにもならないものだと知っているから。切ねえ。

で、しかし。
ダークフレイムマスター(以下、DFM)が行う中二病的行動を、立花は目撃します。DFMは恥も外聞もかなぐり捨てて全力でかっこいいことをする人。そんな、かっこいいという自分の感覚を貫き通すDFMに立花は憧れます。仕方ない、と諦めるのではなく、何もかもが認められないという自分の感覚を貫いて、リアルと戦うことを決意するのです。
現実逃避、と言えばそれまで。
きっと、分別のある大人としては、DFMに会う前の立花の方が正しいのでしょう。十花さん筆頭に家族達が立花を公正させたがっていることからもわかります。
でも、立花の中ではすっごく大きな決意だったのではないかなー、なんて妄想。


DFMの真似をし始め、邪王真眼というオリジナリティを加えて、立花の中二病が完成しきってしまった。
そして時は第一話へ。
「あなたを見つけるためにここに来た」と立花は言います。
前世厨かと思いきや、これってとても深い想いがこもった一言。
憧れのDFMを見つけたのですから。
でも、勇太は中二病を卒業することを決意していました。

 

話が進んで、勇太が立花に眼帯を外せと言います。中二病卒業しろという宣言に等しいです。
立花の憧れはDFM、立花の好きな人は勇太、つまり立花は立花自身の中二病的な部分を、DFMからも勇太からも否定されたことになるのだと思います。辛い過去から(目を塞ぐ形で)立ち直った立花は、再び、その支えを捨てることになってしまうのです。
勇太がそうしろと言ったから、
勇太が好きだから、
せっかく立花を受け入れてくれた場所が無くなるのが怖いから。
今にして思うと、立花は中二病を発症してから、凸守くらいしか受け入れてくれる人がいなかったはずです。十花さんも中二病ごっこには付き合ってくれるけれど、中二病自体からは公正させたがっている。十花さんは立花を受け入れても、中二病までは受け入れてくれません。
そう考えると、すごく寂しかっただろうなあ。

 

だからこそ、11話は見ていられなかったです。

立花は立花の支えとなる中二病を捨てました。
中二病って、私は、わくわくどきどきかっこいい、そういう気持ちが詰まったものでもあるんじゃないかなあとも思うのです。恥ずかしいけど、めっちゃ恥ずかしいけどね!!

それを無くした立花は、11話でほとんど笑っていません。つらそうな顔ばかり。同時に、勇太もぎこちない笑顔しかしていません。立花に中二病を卒業しろと言うことはつまり、自分も卒業しなければならないことがわかっているから……かも、しれません。
凸守が良い動きをしてくれたなと思います。凸守との言い合いで勇太が泣いていた時は、もう、辛くてたまりませんでした。凸守に告げた、特別な力も不可視境界線も「無い」という言葉は、そのままDFMにも跳ね返ってきてしまうから、勇太は泣いたのでしょう。わくわくどきどきかっこいい、そんな自分の感覚を、想いを、自分でずたずたに引き裂いたから。


立花は、前までなら綺麗だと感動していたイルミネーションを、ただ車の明かりや船の明かりだと言うようになります。何故か? 立花は中二病を卒業したからです。わくわくもどきどきも装飾過剰の感動も全部捨て去ったからです。
明かりは、ただの明かりにすぎない。確かに、それはリアルです。でも、それはとてもとてもつまらない。だって、そこに、立花の感動は、「綺麗だ」と感じた気持ちはちっとも含まれていないのです。ありのまま、そこにあるものをあるがままに、それって寂しすぎます。

勇太は立ち上がります。DFMとして、つまらないリアルにあらがう者として。
そして立花も再び、邪王真眼の使い手になるのです。

 


ここで注意したいのが、最終話、立花はただ単に中二病に戻っただけではないということ。


立花は、DFMに助けられて、パパとのお別れを果たしました。
不可視境界線なんてありません、パパの霊魂だって見えません。
リアルなら、そこにはつまらない海が広がっているだけなのでしょう。
でも、立花はDFMの作ってくれたごっこ遊びをやり遂げたのです。
不可視境界線に立ち、パパを見て、さよならが言えたのです。
やっと、パパが亡くなったことを認められたのです。


立花にずっと残っていたしこりは消えました。
パパが亡くなったことも、実家が更地になったことも、納得したのです。現実逃避はやめたのです。

なら、何故立花はまた中二病を発症してしまったのか?
わくわくどきどきかっこいい、そんな感情を、勇太が取り戻してくれたからです。
過去の、現実逃避としての後ろ向きな中二病からは確かに卒業しました。

そして、あのイルミネーションのように、あるがままに受け取っただけではつまらないリアルに抗うため、再び中二病になったのです。
色んな感動を味わうために。かっこいいものをかっこいいと思い続けるために。
自分の感覚を貫くために。

 

 

 

と、まあ、妄想しまくった自分なりの最終話解釈がこうなのですが。
解釈って言うかもう理想っていうかなんか、
中二病とはまた違った方向に痛々しい語りですけれども。

好きなものを好きと言える、感動を素直に表せる。
そういった意味で、中二病は素敵だなあと思っちゃう自分がいます。
中二病、について考える良いきっかけになりました。

 

まあ、TPOを選ばないと痛いは痛いし恥ずかしいは恥ずかしいんですけどね!
かっこいい!と思う気持ちは大事にしたいなっと思いました!

 

 

長ったらしい文章にお付き合いありがとうございました!