「誰かではない、あなたに届けばよいと思う」
あなたの心を掴むならきっと誰かにも届く前置き。
えー、今回はNovectacle(ノベクタクル)さんところのフリーゲーム「セブンスコート」の感想をつらつら書きますね。一部レビューっぽいかも。
かの有名なシェアウェアゲーム「ファタモルガーナの館」と全く同じキャラを全く違う物語とほんのり絡む関係性で描いた、スターシステム?もの。
語り過ぎるともったいないタイプのメタノベルゲーです。
が、こらえきれないので語ります。あまりに根本的なネタバレは避けますが追記にはガッツリ書いてしまっているので、ちょっとでも現時点で興味の湧いている未プレイの方は、是非とりあえずプレイしてみてください。
というわけで良かった点など。
メタを華麗に調理しきったシナリオ
RPGな世界をベースに、とにかくメタネタに全力投球しているのが本作の特徴です。知名度の低いフリゲ作者と好き勝手言うプレイヤー、VIPPERなネタ発言、どこぞで聞き覚えのある呪文名などなど。
立ち絵自体はファタモル本編のままなので、初めネット用語が彼らの口から飛び出た時には思わず妙な鳴き声が上がりました。はっは。でも見慣れると馴染むもので、随所のメタネタにわかるわかると頷いてしまうなど。
作中のキャラクターには現実世界の姿と仮想世界の姿という2面の知識があるのに対し、プレイヤーはさらにもう一つファタモル世界の姿という3つめの知識を持っているところもポイントでしたねぇ。短編でも確かにプレイできますが、やっぱりファタモルをプレイしておく方が、驚愕やギャップを楽しめるかとは思います。
余談。これを書いている現在、ノベクタクル様では新作予定としてRPGが発表されておりまして。
セブンスコートをプレイするまではノベル一辺倒なイメージがあったので、戦闘バランスとかRPGのお約束とか色々どうなるのかなあと勝手ながらハラハラしていたんですが、いやあ杞憂のようです。ノベルだけじゃなくてゲーム自体が好きなんですねこの作者様! RPG好きあるあるネタが多くて嬉しかったです。
掲示板では伝わらない人の中身
前述のとおりこってこてのメタゲーな本作、現実のネット上にも作中舞台の一部であるサイトが建設されています。この凝りようですよね。
で、サイトを実際に見ていくとこれがまあ、うわあ、な内容なんですよ。まさにこう、マイナーアングラBBSな感じ。背景色が黒なのも相乗効果で、少なくとも爽やかとは到底程遠い位置にある何かです。
けれども、セブンスコートをプレイし終わって見てみると、かなり違った印象を受けると思います。サイトのみでなくキャラクターについてもそうですが、見え方の転換こそが、本作の一番の味だなあと感じました。
プレイヤーのことを認めてくれるストーリー
このゲームの導入部分をざっくり書くと、
「アイタタ系中二病フリゲ作者が自作ゲームらしき世界へ巻き込まれた」
になります。
フリゲ作者の話をフリゲでやってのけるというからには、やっぱり例に漏れず、創作の懊悩、レビューの話も出てきます。フリゲ界隈に親しみがあるほど共感度も高まることでしょう。本作をプレイしていてグサグサやられた作者様もいらっしゃると思います。
で、私はどうあがいてもプレイ専なので、プレイヤー視点で語るんですが。
この手の話にはやはり、作者の魂を込めた作品を娯楽として好き勝手消費していくプレイヤーの話も出てきます。好きのアピールの下手さ、好意から来ているのに誉め言葉になっていない感想、素朴な感想が作者の心を折っていく流れ…………。
この手の話を見るたび、私は好きであれ嫌いであれ「感想を表出すること」を辞めたほうがいいのではという想いに駆られるんですね。マイナスを生む可能性があるなら、例えプラスに思ってくれる作者さんがいたとしても、黙るべきではという。
そんな、不安を!
さりげなくも、丁寧に、きっちりと、「そうではない」と。
作者やプレイヤーが神だとか、感想の書き方や受け取り方がどうだとか、そういった論争のようなステージを全部飛び越えて、プレイヤーという一個人の存在をただ認めてくれるのがこの作品です。こんなにありがたいことってありますか。
もちろん、私のような語りたがりではなく黙して秘めるプレイヤーに対しての言葉も、やはり丁寧に、自然なスタンスでつづられています。詳しくは追記で熱く語るとして。
フリゲ作者目線の話と思われがちな構図のゲームですが、上記の理由で、プレイ専視点でもかなり身近に感じられるメタゲでした。
耽美な立ち絵とピコピコ音源の異物感
基本のBGMはMIDI・ファミコンっぽいピコピコ音源。SEも懐かしいジャギジャギしたノイズを感じさせる音で、一部の表現もドットフォントです。
そんなレトロゲー世界を表現しつつも、立ち絵はファタモル世界の耽美なイラストのまま。このあからさまな異物感がすごく好きでした……! 来ちゃいけないものがいる、っていうバグ感がすごい出てるんですよね。
普段通りの立ち絵でネット用語を使い尽くすミシェルはなかなかのパンチが効いていて、いやあ、めっちゃ好きでした。
とまあ、こんな感じで。
フリゲ作者様に取り上げられがちですが、プレイ専の私のような方にも是非プレイしてみてほしいところ。良い意味で“刺さる”ゲームにチャレンジしたい方へ向けたい一作でした。
追記ではネタバレ全開で熱く語ります。
同作者様の他ゲーム感想記事↓
フリーゲーム「おやばけ!」「おやばけ!2」「キャロットケーキ人格シャッフル事件」「薔薇と椿とファタモルガーナ」感想
ネタバレ注意!
ロワイヨムヘブン
プレイ前とプレイ後で印象の変わるサイトでしたよねぇ。
プレイ前は半笑いで目を背けながら全文に目を通していたものですが。プレイ中は頑張ってキャラの予想を立てながら読み返してみたり。
実際、文体やHNである程度ぱっと中身の予想はつくんですよ。見分けのつきづらい女の子二人も、ネリーが先に登場してくれるのでわかりやすいですし。キャラが多くHNで単純二倍になることから、むしろ予想がつくように作られているんだろうなあと思いました。一応、ロワイヨムヘブンに一切目を通していなくても読み進められる程度に最低限の説明が入っているところも、丁寧なつくりだなあと思います。
サイト見ずに終わるのはもったいないですけども!
で、プレイ後にはあのアングラアイタタな雰囲気も、どことなく近しく思えてきて。本音の副音声を受信しちゃうんですよね。
けど、プレイ前のあの印象が違っていたとか悪かったとかではないと思うんですよ。作中で徹底してミシェルが皆の荒らしや冷たい言葉をそっと許していた姿勢からもそう思います。
私達はやっぱり持っている情報でしか判断ができなくって。なんというか、当然のことなんですよね。
あの時ああいう意地悪な見方をしてしまって悪かったなあ、と思う気持ちだって、文章の裏にあるその人自身を知らないことには罪悪感すら生まれないんだろうなあと思うんですよ。
無理に矯正しようとしてもそれは逆におかしな歪みになるんだろうし。だから、「この作品を読んでネットマナーに気を付けようと思いました」なんていう美辞麗句はちょっと本質からずれてる気がして。
なんだろうな、アングラなノリや痛々しいほどの自己防衛を一切合切消してしまうんじゃなくて、その時々に感じた生の感情を保ちつつ、なるべく他者には致命的な一撃を加えないようにありたいなあと……
なんかやっぱり優等生っぽいこと書いてしまいますね! 違うんだ!
とにかく、認識の転換は起こってもそれを矯正・強制させないようにしてある語り口が、とても優しくてありがたいなあと感じました。
プレイヤーがゲームをプレイして産む何か
前述でも触れましたが、私、この作品でプレイヤーの存在も視界に入れてもらえていたことがすごく嬉しかったんですよ。
作者の話に注目すると、どうしても受け手の存在って薄くなりがちじゃないですか。なんだろう、プレイヤーの反応は気にするけれど感情や思い入れは脇に置かれて、不特定多数のbotになる感じ。DL数1、みたいな。
で、それも当然だと思うんです。一人一人と生身の感情でぶつかり合うなんて、プレイヤーだってできませんもの。ゲームはやっぱりプレイヤーにとって娯楽です。
でも、人生の一欠片になるんです。このゲームに会えてよかったなあって思えるんです。感想を表に出そうが出さまいが、形にするしないを問わず、生まれると思うんです。
「作者に感想を伝えたから」「誰かに好きを布教したから」「毎日プレイしたから」「キャラに感情移入して泣いたから」そうじゃなくて!
ただ、プレイするだけで。プレイするだけで確かにプレイヤーは想いを込めることができるんだってことを、他の誰でもない作り手側から言ってもらえるんですよ!
これって、こんなにうれしいことって、ありますか!?
SNSでよく見かけます。感想を言わないと創作意欲は続かないとか、好きなもの書かせたいなら感想を出しておけばいいとか、このページのこのセリフを暗唱できるくらい好きとか一部の作品しかプレイしてないのはにわかだとか、そういうの。
これら全部良い悪いじゃなくて、表現の仕方の違いだと思っていて。人によって好きの表現の仕方が異なること自体は当然です、私だってこんな片隅でどばららららっと長文書いて好きって言わないと抑えられないタイプですし、誰かに同じくらい好きになってほしい気持ちだってわかります。
でも、そういうの全部取っ払ったって、確かに。
何もしなくたって、ただプレイするだけで認めてもらえたことが私はとてもうれしい!
うあー。
プレイ当時の呻きがこれだったんですけど。
@freegameTL 気持ちの善悪は論点ですらないんだ、感想を書くのが尊いのどうのの次元でもない。プレイヤーが実験サンプルやデータ集積ではなく、作者が発信した何かに対する各々の反応を返す自動存在ではなく、一個人として気持ちを持っている何かだと認めてもらえたんだ。なんて…… ★セブンスコート
— ツキシキ(ダサ私服) (@takatuki_sk) April 20, 2018
なんか、文字を重ねれば重ねるほど上手く言えていない感じがしますね。でもとにかく嬉しかったんですよー。プレイヤーがプレイしてそれを好きだって感じること自体をありのまま肯定してもらえる感じがしたんです。
本編で言及されているのはたったの二行なんですけどね。でも、焼き付きました。ありがたいなあ。
フェアリーハウス
プレイしたいですよね、あのゲーム。
私、セブンスコートのどこが一番心に刺さったかって、ヤコポとフェアリーの会話なんですよ。で、なんでここまで刺さったのかなあって思い返してみたところ、その前の展開ともうまく噛みあってるなあとしみじみしたんですよね。
ネリー、エイド、ヤコポ、もっかいネリーという順でそれぞれの深いところが明らかにされる本作ですが。ネリーやエイドは自分の口で先に語ってくれるのに対して、ヤコポのほうは、バレてから致命的にぼろぼろになったところでようやく語ってくれるんです。それまでは全然見せてくれない。
つまり、フェアリーのセリフから想像させるやり口が上手すぎて!
話し手であるヤコポのセリフは、たった一単語、ミシェルが気づいてくれる言葉を除いて他は明かされることはありません。でも、フェアリーの口ぶりから、いやでもこういったであろうセリフが想像されてしまう……。
フェアリーが完璧に会話できるわけではないとこも本当に上手なんですよね。「~は友達ですか?」「力を借りましょう」。
ミシェルが想定したであろう会話と、ヤコポが実際に行っていた会話の相違も、嫌って程想像させられるんです。だから本当、死にたくなりそうなくらい、見事に刺さるんだろうなあと思いました。
響くゲームっていいですよね……。
エイドとポーリーン
ファタモル世界、エラスムス世界、おやばけ世界とめぐってきた自分ですが、二人の関係性はこのセブンスコートの世界線が一番好きだなあと思います。
どうしようもなく二人の世界じゃないですか。
ネリー、ヤコポ、イメオン。彼らはミシェルとわかりあって、友であろうとしてくれました。謎存在である、導き手すらもミシェルと指先を交わしてくれたような思いがあります。
そんな中でエイドはかなり明確に拒絶を示されます。ポーリーンは生きた声を届けることすらできていません。
作中でこの二人がかなり浮いているのは、それだけ、二人きりの世界が強調されているんだろうなあと思います。それがあまりに、虚しいような、悲劇めいて見えるような……。なんともいえない気持ちを残してくれるので、この世界線の二人が好きだなあと思います。
ポーリーンがエイドを迎え入れたのは、信じたかったのか目を背けたかったのか、たぶん両方なんだろうなあ……。
余談ですが、エイドの読み方が違うっていうのはたぶん、会田?のつもりだったんですかね。機械音痴というかネットに疎いエイド、ちょっとかわいくて微笑ましかったです。
小ネタなど
呪文名の伏字に「バ○ルポカリ」的なものが見えて狂喜乱舞しました。レベルEご存じなんすか! いやレベルE自体が何かを元ネタにしているのかな……。
勇者キャラで切り込むより後衛でデバフしてたい欲もめちゃくちゃ共感できて笑ってしまいました。わっかっる! 状態異常ががっつり機能してるRPGって楽しいですよね。あとバフ切れるちょうどのターンで補助を叩き込めるとめっちゃ脳汁出ます好き。
と、まあこんな感じで。
RPGあるあるを絡めつつ、少しづつ創ることへとシフトしていく流れが見事でした。