「できることが限りなくゼロでもできるのならやるしかなかった」
子どもの選択肢はいつも少ない前置き。
えー、今回は共食いうさぎさんところのフリーゲーム「カルィベーリ」の感想をつらつら書きますね。一部レビューっぽいかも。
雪国で弟のために食料を探しにいく、探索フリゲ。一本道。30分強くらい。鬱展開です。
というわけで、良かった点など。
寡黙で死に近い世界観
BGMは吹雪の音のみ、探索するのは無人のホテル、主人公もリアクションはほとんどなく、特に序盤は黙々と探索を進めていくゲームになります。
この静けさがすごく好きでした。寡黙、もっと言えば言葉を発することすら疲れ切っている印象です。
なんだかもう、作中の世界観がとても死に近いんですよね……。すっかり漁られ尽くした食料、荒れたままの部屋、誰も整えないホテルルーム。状況自体はサバイバルなんですが、生存というにはあまりにも遠く、とにかく限界の状況だということが伝わってくる雰囲気でした。
繰り返しと断片で語るストーリー
人がいないので、ストーリーも掛け合いではなく主に手記と回想で進みます。手記自体は見つけやすいところに置いてあるので、お話をなぞるのは簡単なはず。それでも綴られているのはどんどん光が消えていくような内容で、心がシンと凍り付きます。
また、回想シーンの見せ方も独特です。1.2.3と繋がっていくのではなく、1シーンをブツリと切ったかのような表現で、次はどこまで見れるのかという好奇心が膨らんでいきました。
やっと1シーンを最後まで見れたと思ったら、今度は違った形で先を見たいと思わせてくれる演出が始まるんですよねえ。彼らの救いのない日常を実感させてくれる、良い演出でした。
温かな光の表現
小物の使い方がとても光るゲームです。
物語自体は、鍵とそれを手に入れるための工具などが揃っていれば進むんですよ。でも、進行に関係のない小物一つ一つに、深読みしたくなる要素が詰まっていてすごく好きでした。
例えば、テレビからうっすらと聞こえてくる国の情勢の話とか。風邪薬が落ちているということは、病人に届けるには至らなかったんだろうな、とか。
あと何より好きなのが、ランプ!
やっぱりホテルなだけあってあちこちにランプがあって、実際に部屋中のランプをつけられるんですよ。ですけど、これらは一切ゲームの進行にかかわりがないし、伏線にもならないし、本当にプレイヤーの自己満足にしかならないんですね。それでもなおランプを点けさせてくれる、マップがぽぅっと明るくなる演出が本当に好きなんです。
なんでかって、明るくなってもゲーム内の進行には寄与しないっていうこのこと自体が、ターニャ達にとってのランプの価値なんだろうなと思えるからです。心の温かさより食料がなければ生きられないということが、セリフもないのに大声で伝わってくるようで…とても胸に刺さりました。
本当にゲーム内では一切ランプについて触れられないので、悪しからず。なので私の感傷も強いと思うんですが、やっぱり良いなあと思ったので挙げておきます。
とにかくこんな感じで、深読みもはかどって探索の手が進む、良いアイテムが多かったです。
とまあ、こんな感じで。
人の業が連鎖していくような、静かに救いのない鬱展開でした。
支え合うきょうだい、サバイバル、死と雪、などにピンとくる方向け。
追記ではゲーム内の小ネタについて軽く語りますね。
同作者様の他フリーゲーム感想記事↓
納涼! 短編ホラーフリゲ8作品感想(『幸せなエミリー』『Rumor』)
ゲーム内の英文など
ググってみたけどわかったのはマザーグースの、木の枝に置かれたゆりかごは枝が折れれば皆落ちるみたいなあれです。雑が過ぎる。一部を抜粋している英文が多く、元ネタを初めから知らないとピンとこないのかもしれません。
ともあれ、ダークな詩から察せられる通り、おそらくはあの国に残った子どもたち全員が同じように陰鬱に終わりを迎えるのだろうという予測はつきます。
ゲームを解凍する前のフォルダ名がcradle(ゆりかご)なのも、やっぱり作中の写真に何度も出てきている通り、一番象徴としたい単語だからなのかもしれません。
諸々の謎について
銃を持っていた彼女は何だったのかとか、手記はなぜ点々と置かれていたのかとか、その後弟はどうなったのかとか、諸々の謎は残ります。が、個人的にここは明らかにする必要がないからぼかしてある部分だと思っています。
今後投稿する『AMANI』の感想文でも少し触れるつもりなんですが、この作者様の作品って想像の余地を残すやり方が上手いんですよね。プレイヤーに見せたい部分にだけピントを当てて、他の重要でない部分はぼかしている感じ。絵を描くみたいにストーリーを見せてくれるような印象です。
とりあえず重要なのは、ターニャにも銃を持った彼女にも支えるべききょうだいがいるということではないかなと。
あとついでに、他人の解釈を否定するようで恐縮ですが、ラストで「おねえちゃん」と言った子はエフィムではないはずです。「お姉ちゃん」と書き分けがされていますし、冒頭のターニャ達がいた家と間取りが異なるので。
あくまで、誰もが家族に捨てられ家族を守りたいがために罪を犯して生き続けている、というところが主眼かなと思っています。
業は巡るし、やったらやり返されるし、でもそうしなければ生き抜けない、どうしようもなく弱い立場に立たされる子供の虚しさ──みたいな形に帰結するのかなあ。
静かで暗い余韻が残る、素敵な作品でした。