「幕を閉じるまでが責任というけれど、こんなのは遊びでしょう?」
箱庭世界でお人形ごっこする前置き。
えー、今回はつかみんさんところのフリーゲーム「退屈■■」の感想をつらつら書きますね。一部レビューっぽいかも。
一本道、1時間前後の短編RPG。雰囲気重視ゲーな印象。救われない物語の断片達に終わりを打つ話です。
というわけで、特徴的な点など。
落ち着いた色彩のグラフィック
まず着目したいのはグラフィックとキャラデザ!
メカクレ被り物ちゃん・拘束衣・貴族紳士風などなど、並んで揃うと奇抜に見えるはずなんですが、不思議と一貫して見えます。
色合いのおかげかな。彩度低めって言うのかな、全体的に落ち着いた色合い。金髪の子でもすんなりあのベージュ基調な背景に馴染んでるのすごいですよね。
ただ、ちょっと類似作を思い浮かんでしまい、もやっとしちゃったかも。
マップの強調表示や命名センスにもちらりと見え隠れ……まあこういうのは思い込んだらそう見えちゃうものなので、何かしら感じた方は避けるほうがいいかもですね~。
厭世と安寧を感じるテキスト
まず驚かされたのは、初手で出会うマップの切り替え選択肢です!
ドギツイ言葉をどかんと一発目に持ってきて、説明なしでもどことなく察してわからせるこの演出。掴みからして実にゾクゾクしました。
他にも、敵名やボスの戦闘前口上など、あちこちにダウナーでネガティブな空気が漂います。
一方で、拠点での会話はとても和やか。
こう、ガールズトークといえばいいのか百合といえばいいのか……主人公だけ除け者にされたり逆に愛でられたりするのは、どことなくラノベ文脈っぽいかも?
いずれにせよ、温度差はかなりあります。何より初めてのボスを倒した時のBGMがめちゃくちゃ明るくてびっくりしたんですよね……。
なので、ダウナーな世界観ではありますが、鬱一辺倒というわけでもありません。緩急があるというよりは、ドロッとしたものを共有できる安心感……?
尖りと賑やかさの両方を感じる雰囲気でした。
不便だった点
システム的な説明やマニュアルがないため、もやもやするところはありました。
例えば初期装備の「解放」。ラスボス戦で使うみたいなエモ装備かと思いきや、使いどころが見極めきれずにいたので、気になっています。うーん。
あとは「クロワッサン」。
ちょっとした会話が見れて装備品がもらえるというアイテムですが、説明は「仲良くなれる」の旨のみだったので、戸惑いました。エンド分岐や好感度設定があるのかなと……。
クロワッサンの価値が100と重ためなので、軽率に使えないというのもためらいの理由でしたね~。といってもレベルデザイン的にそう安くできないのは理解できますが……。
こまごまとしたところだと、3つ目のダンジョンが広すぎたり、階段→前回のドアの先→前回のドアの先→階段と次のダンジョンへいく方法が一貫しなかったり。
総じて説明が甘め、かつ、やってみてわかる作りでもないという感じでした。ここら辺、フリゲ慣れしてる方向けの作品かな。
とまあ、こんな感じで。
他にも、レベルや経験値の概念がないので、雑魚戦が嫌いな方にはとっつきやすいやもしれません。
正直言えば荒削りの印象はあるものの、雰囲気やグラフィックが特に光る、フリゲらしい良作でした。
追記ではネタバレ感想。
ネタバレ注意!
伏字なしにエンドまで全部書きます。
本作の構造
箱と名が付く通り、かなりの入れ子構造してましたね~。
メタゲーと言えばメタゲーなんだろうか。演出やシステム自体は普通に二次元なんだけど、ストーリーだけ三次元的な感じ。
エンドで本題が一気に押し寄せるので、備忘も込めて軽く自解釈のまとめなどしておこうと思います。
それぞれの用語を卑近に言い換えるとこんな感じかな?
- 箱≒フィクション作品
- 人形≒キャラクター
- 星の子≒主人公
- 神≒作者あるいはプレイヤー、高次元キャラのさらに高次元にいる存在
- 神の使い≒作者の代理人、高次元キャラ、メタキャラ
- 旅人≒スターシステムのまがいもの、見た目や設定は違えど中身が同じの高次元キャラ、メタキャラ
- エンドメイカー≒エターなった(未完成に終わった話)の処理をする高次元キャラ、だったが、本作のエンディングで全てに終わりをもたらす概念となった
なのでメタ構造としては、
ピラミッドの頂点に神(我々)
その下に神の使い・旅人・エンドメイカー(メタキャラ)
さらにその下にネコマナコら人形
がいる構造かと思います。
箱が終われば全てを忘れて何度も繰り返すというのは、本を読み返す、映画を再生し直す、といったことに繋がるかな。
作中はほとんどが電子的な演出ばかりだったので、箱をゲーム作品とピンポイントに指定してもいいかもしれません。
物語の概要
これを書き切ってしまうと本当にただゲームのストーリーを無機質に文章化しただけになってしまうので、ご了承の上で見て頂きたいのですが……。
プレイしての私の解釈はこんな感じ。
~前提~
あちこちのフィクション作品を渡り歩き、その作中のキャラとして生きては楽しんでいたレーティン。しかしフィクション作品は未完成のものも多く、ついにレーティンは『退屈』してしまった。
そうして生まれたのがエレジー。エレジーもレーティンと同じく旅人であり、レーティンが飽きたフィクション作品を終わらせる(ラスボスとして存在し、倒されることでENDマークをつける)のが存在意義。
ただし、エレジーもレーティンも“旅人”なので、作中のキャラに成り切るほかなく、物語の根本を変えるほどの干渉能力はない。なので、そのフィクション作品の終わりを作ることはできても、また同じ物語が始まってしまい、消去や変更はできない。
退屈なフィクション作品にENDをつけて、その台本は見捨てて本来のキャラに任せて、次のフィクション作品へ。この繰り返しを破る、「本当の終わり」はエレジーやレーティンには生み出せない。
~ゲーム本編~
ここでゲーム本編開始。
作者の意思の体現者であるアザナの手足として、エンドメイカーが誕生。
まずは、ネコマナコ・突撃保健室・セオドアら3人のキャラが登場する3つのフィクション作品を終わらせにかかる。冒頭であった「願いを叶える」が妙に曖昧だったり、三人の世界がちぐはぐだったりしたのは、アザナが壊して「ちぐはぐ」にしたから。ちぐはぐにした理由は語られていない(はず?)けれど、たぶんエターなったから。
そんなわけで、フィクション作品として成り立っていないこの世界を、エンドメイカーは順番に終わらせていく。
そこでレーティンが、自分やエレジーは何もしていないのに箱が終わりつつあることに気付き、戦闘。今まではレーティンがエレジーを倒す流れだったが、そこにエンドメイカーが割り込む。
退屈な繰り返しに本当の終わりを与えるため。
~エンディング~
とはいえ、宙に浮いていたあの見た目のエレジーというキャラはあそこで終わるが、今後も別のフィクション作品の別のキャラとなってラスボス役に君臨し続ける。
いつか「本当の終わり」をエレジーに与え、ひいてはこの繰り返しの退屈を終わらせることを。
エレジーはレーティンの退屈を解消し、次の世界へ渡らせるために産まれた存在。だから、エレジーの側面がレーティンであり表裏一体だということにレーティン自身が気づかなければ、繰り返しは終わらない。
エレジーを倒した後のレーティンを見る限り……その日はまだまだ遠そうだ。
それまでエンドメイカーも自分の力を高めるべく、がんばろう。
め~~~~っちゃ無粋に書き切っちゃうと、こういう物語だと解釈しました。
いやこうやって書くと整理できて良いな。レーティンとエレジーのところで頭がパンクしかけたので、すっきりしました。
というわけで残しておきます。せっかく書いたので。
その他覚書など
ラスボス前に3人の人形または彼女に話しかけると、それぞれの言葉で言ってくれるじゃないですか。「今この感情は嘘じゃない」という旨を。
要は、キャラクターだしERRORも吐くし台本通りにしか動かないけど、それでも込めている感情は本物だよと……、月並みですがそういう受け取り方をしました。
エンドメイカーの好きなものが「想い出」なのも、彼女達の言葉を経ての嗜好なんでしょうねえ。
余談。『ステップ・バイ・バッド・パフェⅣ』って何なんでしょうね?
単なる店名にしてはインパクトがすぎるし、そもそも店名を名乗る必要はないし。もともとあの箱は、この『』の四作目として生まれて、でも飽きられて途中でぐちゃぐちゃにされた、ってことなのかなあ。あのフィクション作品が完成した暁に名付けられるタイトルだったのかもしれない。
正直言うと、本作の物語は設定だけで上滑りに感じたのは確か。
未完成作の救済あるいは昇華、って創作する人なら一度は必ず考えるであろうことですしね。一捻りほしいなーの気持ちはあります。
とはいえ、箱を一から造り上げたことのない私が言ってもまったく説得力はない。
こうして話の概要と構造をまとめたくなるくらいには、きちんと結末のあるお話でした。